死ぬまでにやる100のリスト
「藤川忠彦:100のリスト」より
『死ぬまでにやる100のリスト』というのを書いて、目につくところに張っておくとよい、という話を聞いてやってみたら、これが実によい。
『100のリスト』をデスクに張り、眺めていると、“自分”って奴が生まれてきた理由が書かれていることに気付く(残念ながら“意味”は書かれていない)
「死ぬまでにしたい10のこと」という映画があったけど、「したい、やりたい」と「する、やる」は意味が違う。前者は単に希望でしかない。後者は決定事項、任務遂行あるのみだ。
僕は一昨年、通勤途中に椎間板ヘルニアによる下半身の麻痺で歩けなくなり、救急車で運ばれ一ヶ月間のほぼ寝たきり生活を余儀なくされた。幸いなことに短い時間なら直立していられたので、食事はとることができた。しかし椅子に座ることは激痛との戦いで、トイレに行くくらいなら断食してやるとすら思った。ウンコするのは絶叫を伴う作業だった。
とにかく早く座れるようになりたかったし仕事にも復帰したかったが、何よりも一番願ったのは、まともな日常生活に戻れるようになること。頭はハッキリしているのに、ほぼ一日中寝たきりで何もできない、カラダが動かないというのは、これほどまでにツライ状況なのかと痛感した。医者が最初に下した判断は安静1週間だったが、ようやく社会復帰できたのは1ヶ月後だった。はじめの1週間を過ぎたあたりで何の回復もなく、もしかして一生このままでは?という不安でいっぱいになったりもした。
そういう極限というか極端な状態に置かれると、たったひとつの事しか考えられなくなる。今このまま死んじゃっても悔いは残らないかどうかということ。僕には悔いだらけだった。まだまだやらなきゃいけない事が沢山あると思った。だから、もし日常生活にカンバックできたら、今度はいつ死んでも悔いの残らないように日々を送ろうとも思った。
とはいっても、普段通りの生活に戻れば、やはり極限状態でのハイテンションなど持続するはずもない。けど、若い時期に精力的にやったと思ってたことが実はフレストレーションの吐け口でしかなかったという事があって、だから今はじっくり構えてやってみるという事も大切だなと。
幸いなことに僕には100もやることなんて無くて、ひとつだけ到達すべき点があるかなと思ってる。それがいま生きてる理由だろうし、やらなきゃいけないことだ。
先日初めて「いい天気だ」という理由だけで、幸せな気持ちでいっぱいになれた。もうラストスパートは始まってる。
投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2005年3月 6日 04:55