女王の教室とアムロ・レイ
世界の運命を少女ではなく少年に背負わせた場合
ドラマ「女王の教室」の再放送をちらっと見ましたが、なかなかよく出来たドラマだったと思います。
で、いしたにさんがこの「女王の教室」の物語構造について分析してます。
日本全国・見たいもんはみたいぞの会ピヨピヨ: 女王の教室の再放送で見えてきたもの・物語構造編。
天海祐希演じる「阿久津真矢」と6年3組との二項対立の物語と思われているようだが、実際は「たったひとりの少女に世界のすべての責任を取らせようとする物語」であると思う
なるほどね。確かにそうだ。そういう意味では風の谷のナウシカと同じですね。
なぜ少年ではなく少女なのか?これは複合要素が絡み合うので一言では言えないのだが、まあ今の自分で世界と対立するのが少年ってことはないでしょう
世界のすべての責任を負う少年ということでいえば、教室=ホワイトベースとすれば分かりやすいですね。
クルー全員の命運がアムロの肩に
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「僕が一番うまくガンダムを使えるんだ」という驕り
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不満爆発でアムロ脱走
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自分の限界に屈して『くそっ、しょうがねえな』と出戻る。
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そして上司の命令に服中することを甘んじて受け入れる
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今度はインド人の少女に絆され、続編では脇役に降格
なんてつまらない物語だ(笑)少年を主人公にしちゃいかんな。自分の弱さにも命令にも簡単に屈してしまう。敵に屈服しなかっただけマシな状態。しかしそんな彼も色仕掛けには弱かったわけだ。
でもって、続編の主人公も(ロボットアニメという性格上)同じく男子ではあるものの、その名前はカミーユという女性の名前。最後は女性たちの力のおかげさまで、なんとか敵を撃墜、しかし自分は廃人化。
投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2006年1月 5日 19:44