Googleが神に至る経緯
Save me digitally.
5年近く前のノートに、「Save me digitally.」という掛詞をメモしていました。ちょうどボコーダーを買ったばかりで、ロボットボイスの歌でも作りまくろうと思ってた頃です。
save・・・魂の「救済」と「保存」を同時に行えば、それは宗教ですね。
図書館の蔵書、映像作品、そしてちょっとした個人情報に至るまで、Googleはデータベース化し続けています。
過去も含めた現在入手可能な情報だけでなく、それを元に導き出されるある種の未来予測まで可能になれば、「アカシックレコード」とでも呼べるような記録が完成するわけです。
数十年後のGoogle Calendarは、予定を書き込むと、週末のデートや来週の商談の結果を予測して知らせてくれるかもしれません。予測値によってはデートの相手を変える必要性にも迫られるでしょう。
また、DNAパターンや脳内の記憶、思考アルゴリズムなどまでをも蓄積し始めるかもしれないですね。死後もなおデータは保存され、必要なら端末にロードして利用。ホログラム化や蛋白質合成機でプリントアウトしたホーキング博士に理論物理学を学ぶということもあり得ます。かなりスタートレックな話ですがw
現在ではまだまだ夢物語でも、記憶装置の大容量化と計算の高速化によっていずれは達成されるでしょう。量子コンピューティング時代への突入と同時に、Googleは「予言」と「死者の復活」という宗教の二大要素を手に入れてしまうかもしれません。
人類は二千年ぶりの奇跡を目の当たりにするのです。
そして人々は、天国行きを担保にした生き方の強制(矯正)を強いられます。Google八分とは、地獄行きを意味します。データベースから抹消されないように、Google様に「Save me digitally」と願いながら日々を善く生きるようになります。
リンゴマークの旗印の下、Googleが神となることに最後まで抵抗を続けていたレジスタンスのリーダーですらも、望むと望まざるに関わらず死後なおGoogleのデータベースに保存されてしまい、生き続けることになります。
その様を見たジョブズ・チルドレン達は地団駄を踏みつつも、六色リンゴの塗り分けをGoogleカラーに変更することを余儀なくされます。もはや彼らの崇めるスティーブを再び実体化させられるのもGoogleあってこそなのです。
そして2006年現在、あらゆる面でのGoogleの機械的な対応に疑問を抱いた一人のジャーナリストが取材を進め、ある結論に至ります。創設者ラリー・ペイジの肉体は既に存在せず、まさにGoogleデータベースから引き出されるひとつひとつの"Page"としてユビキタスに遍在していることに気付いたのです。
「彼は入滅していた!!」
その事実を公表したブログは二度とクロールされることはなく、そしてorkut上でそのジャーナリストのプロフィールを確認できなくなったオンラインの友人たちは、あたかも彼の存在が神によりこの世から消され、亡くなってしまったかのように嘆き悲しみ喪に服しましたとさ。おしまい。
と、KNN神田さんめいた妄想ネタを書いてしまいましたがw、文春新書の『グーグル?Google 既存のビジネスを破壊する』(佐々木 俊尚 著)を読み終えて、そのように考えずにはいられませんでした。
梅田望夫さんの「ウェブ進化論」がどちらかというと現状を踏まえてのWeb 2.0やGoogle賛歌にとどまっているように感じられたのですが、「グーグル?Google 既存のビジネスを破壊する」のほうはフィリップ・K・ディックの小説を挙げつつ、映画「ターミネーター」のスカイネットや映画「マトリックス」のコンピュータのような、100年後の人類を支配しつつある脅威として描いているSF的な面も見受けられました。
「EPIC 2014」のグーグルゾン幻想なんてのは今や古典SFなのだなとも思います。
参考リンク
My Life Between Silicon Valley and Japan — 「グーグルをどう語るか」を巡って
投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2006年4月29日 18:06
» 神の視点としてのインターネット from webdog
Web 2.0な世界は、プライベート映像の共有までをも促進するのか [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年5月 3日 09:40