北朝鮮ミサイル発射の報道で再認識した恐怖訴求
『巨大地震が来る!! でもコレさえあれば安心』とか『ピッキングが多発!! でもコレを使えば大丈夫』など。
広告媒体としてのテレビが皆一様に「恐怖訴求」で宣伝効果を高めようとしているのは、マイケル・ムーア(華氏911)のドキュメンタリー映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」で語られていたこと。
良く言えば「スリリング」ではある。広告をとらないNHKの番組が比較的穏やかなのはそのためだ。
地震やピッキングの恐怖を煽るのは「啓蒙」という点でも有効なのでまだ許せるが、ごくごく小さなところでもこの恐怖訴求という手法は多用されている。「買わなきゃ!」という精神状態にさせるもの全て。
さて本日、北朝鮮のミサイルが発射された。現時点で7発が確認されている(ロシアは10発と述べている)。私はそれをYahoo!トピックスで知った。
発射されたことで何が起こったかというと、私自身には何も起こってはいない。私の関係するところ認識し得るところにミサイルが着弾したわけではないのだから。
私が今日もっとも大変だったのは大雨だ。傘が雨漏りするほどの土砂降りのなか、用事のため青山一丁目から赤坂まで歩き、ジャケットもバッグも靴の中も全てがびっしょり濡れた。
しかし夕方のテレビのニュースでは、どの局もミサイル発射の話題ばかりだった。これには違和感を憶えずにはいられなかった。遠くの海中に沈んだミサイルより、雨で全身ずぶ濡れの方がよほど災難だ。石原良純の顔が映るまでそれには全く触れてもらえないのか。
ミサイルへの恐怖訴求で何を売ろうという意図もないだろうが、広告媒体としてのテレビというのはそういうものだ。報道ですら体質がそうなっているのだろう。視聴者にそういったストレスや緊張感を与えれば、全くミサイルに関係のない商品でも、購買につながらないわけでもない。
案の定、ニュースを見た直後に立ち寄った西友にて、不要にも関わらずポータブルCDプレーヤーとピクサー映画の玩具を買いそうになってしまった。危ない危ない。
「日本海に落ちた」と言うからいけない。これが韓国風に「東海に落ちた」と言い換えるだけで、全く親近感が無くなる。そもそも数百キロ離れた場所の事など関心が持てないものだ。阪神大震災直後の村山首相の対応がまさにそう。これが、テレビの煽動によって一気に身近な出来事に変わる。Tele-Visionなのだという事を忘れて茶の間で起きた惨事のようにすら感じる。
「どうせ日本からは開戦できないでしょ?」とは皆思っているだろうが、テレビがこうして無駄に煽り続ければ世論は変わる。アメリカがやるといえば諸手を上げて賛成の者も多くなるだろう(いや、そのための道具がテレビというメディアなのだが)。
話は変わるがミサイル発射の影響で円安傾向にあり、どうせならAdsenseの支払い時期に発射してくれれば・・・というエントリーもあっても良いと思うのだがな。
投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2006年7月 5日 23:02