続・なぜtumblr使わないか分かった
ひとつ前のエントリで「なぜtumblr使わないか分かった」と書いたら、こういう展開になってた。
▼:: H & A :: tumblr — webdog — なぜtumblr使わないか分かった
この言葉を教えてあげたい。
どういう言葉を教えられたかというと、
なんかよくわからん「なにか」を発見するために、これほどの大量の post を浴びてるんでしょ。
というもの。
ここで「なるほど」となってreblogするもよし「ふーん」とスルーしてもよしなんだが、残念なことに「教えてあげたい」と言われる以前にこれ読んでた。完全に既読。
ミニブログとしてもブックマークのツールとしてもtumblrは使わないという話をしたまでであって、ひとのポストしたものは嫌でも目に入ってくるわけです。大量のポストを浴びるということ自体はいまさら普通。
で、この残念な既視感というのは他にもいろいろある。
たとえばラフォーレ原宿の広告が視力検査の「C」の表になったときに、その面白い表現を写真におさめてtumblrにポストしたひとがいました(URL失念)。
たしかに面白いのでこの発見は皆に知らせたくなるわけですが、既に日常風景のひとこまになってた僕にはあえてtumblrでどうこうするという意欲もないわけです。
それはあくまで一例なんですけども、そういうのが重なってくると、やっぱりできるだけ現場にいないといけないと思うわけで、現場にいられないならなるべく情報の上流にあるものへ自然とすり寄っていくんですよね。
それで前のエントリーの「劣化コピーしか置いてないし遅いし」と書いたわけです。さらには得たいものがあるなら現場に行くのが基本なので、じゃあそれを仕掛けてるひととメシでも食いに行ったほうがよほど沢山得られるものがあるわけで、そういう意味で、いしたにさんはいつもバランス感覚いいよなと映るわけです。というのが前のエントリーで書いてたこと。
アド街ック天国でいうと、その街のあれこれを日常的に体感してるひとがいて、そういうとこからの推薦などをテレビ番組に落としこむ人がいて、放送の翌日にお店に並ぶ新参者がいるわけです。この立ち位置が明確でないままフラットに見えてるのがtumblrのノイズの多さになってるなと思う次第です。
あと原宿界隈の既視感で思い出した件でいうと、九州在住の某氏がコンドマニアのお店の動画をmixi日記にアップしてたことがありました。『子供がたくさん通ってるのにコンドーム屋なんてスゲー』みたいなコメントだったような気がする。まあ15年も前からそうなんですけどねという。
そのへんはまあ旅行先で発見したギャップみたいなもんで、南極の氷スゲーとか深海の生物スゲーとかいう感覚と同じですかね。そういうのを現場ではなくtumblrで発見してreblogしていくと何か有益なアウトプットにつながるかというと、さてどうかなという疑問。現場情報にプラスオンされる装飾としてはいいかもしれませんし、発想の起点とするにもいいかもしれませんけどね。じゃあさらにフィルタリングしてもらったGIGAZINEやザイーガ読んでるだけで済みそうな気もする。
まあでもこの手の話題は20年くらい前の「打ち込み音楽のライヴって意味あんの?」に似たようなもんだけどね(笑)
投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2009年11月28日 10:48