Ustライヴストリーミングは報道ではないか?
Ustなどを使ったリアルタイムのライヴストリーミング動画が流行っておりますが、それは報道でもジャーナリズムでもないという意見があがっておりました。
▼Twitter / 石川 温: Ust中継を称賛する人がいるけど、それって報道でもジ …
Ust中継を称賛する人がいるけど、それって報道でもジャーナリズムでも何でもない。ただの生中継代行業。そこにカメラと回線さえあればいい。それをやったら、フリーの人間こそ用無しな存在に成り下がる。そこに冷静な視線で分析や論評を加えないと意味がないと思うんだけど。
日本で称賛されるUst中継といえばまず、ケツダンポトフそらのちゃんのダダ漏れ活動が思い浮かびます。
初期のころはインタビュー力の不足を指摘されるといったこともありましたが、今ではtwitterによって視聴者すらも取り込んでインタビュイーと対峙できる存在になってると感じます。Zガンダムでいえば「俺の体をみんなに貸すぞ!」を体現しています。そらの=カミーユです。
つまりそれは霊媒師です。言い換えれば霊界メディアですね。ちゃんと"生中継代行業"ができたカミーユだからこそ、真の敵を倒して宇宙世紀最強のニュータイプたりえるわけです。
そらのちゃんが視聴者の代表として赴き、視聴者からの質問を代弁するというかたちだけになったとしても、十分に報道と呼んでいいと思います。みんなが見たい世界との媒介になることは第一歩です。
オールドメディアでは「編集」が重要かもしれませんが、ライヴストリーミングが当たり前になった時代にそんなものは介在できません。「今日はなにをダダ漏れする?」その取捨選択こそが従来の「編集」にあたります。
分析や論評も視聴者が行います。もちろん、そらのちゃんの場合は感想などを付け加えてますけどね。もしそれが無かったとしても、視聴者がやればいいんだと思います。わけの分からないコメンテーターなどよりもずっといいこと言う人がいたりするものです。既にテレビ番組は、ニュー速やtwitterと持ちつ持たれつの関係になってしまっているので、何を今さらですね。
それに関してはこのような意見がありました。
▼Twitter / Shinji Kono: 去年までは、twitterがいくら早くても、ソースは …
去年までは、twitterがいくら早くても、ソースはTVの速報だった。でも、TVが報道しないものに、ust+twitterは絶対的な差を感じる。これは確かに変革かも。マスコミは世論を収束させたがるが、twitter は逆に多様性を認識させる方向に働いている。この現実感は凄い。
そして以下のような意見も
▼Twitter / Fujimoto Taisuke: ねじ曲げずにはいられないのがテレビですからね…RT …
ねじ曲げずにはいられないのがテレビですからね…RT @kenbor ドキュメンタリーもので事実のねじ曲げはやってはいけないよね。事実の切り取りならまだしも。まったく残念。「信子かあさんの大家族日記 ? 演出は、初めから決まっていたんだね」http://bit.ly/7Pnv7y
僕自身もテレビの収録などで現実歪曲を実感することはありましたし、つい先日もひどいヤラセ取材の話を耳にしたばかりです。それとワンセットにしてでも、マスコミによる論評が聞きたいというのならそれで構わないです。
でも、ごく一部の選ばれた人たちの思惑通りに操作されてしまうのと、拙いながらも我々が意見を述べ議論しあう機会が与えられることはどちらが良いでしょうか。
投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2010年1月25日 06:47