ごんぎつねは撃たれて当たり前という件
ごんぎつね撃たれて当たり前という小学生の感想に、いい大人がそれを擁護や感心したりするのは情けないことです。
小学生が書いた「ごんぎつね」の感想で議論勃発 ごんは撃たれて当たり前? — ねとらぼ
多くの子供は「ごんがかわいそう」という感想を持ったようですが、投稿者の姪は「やったことの報いは必ず受けるもの」「こそこそした罪滅ぼしは身勝手で自己満足でしかない、(兵十はごんの反省を知らないのだから)撃たれて当たり前 」とシビアな感想を抱いたようです。この感想が学校で物議を醸しているそうで、スレッド内でも大きな議論に発展しています。
これが「新聞記事」の感想ならそれでも良いかもしれないですが、「撃たれて当たり前」と思うような事象でさえも、読む者の心を揺さぶるように書いてあるのが「物語」です。
先述のような感想を持つことは、言語感覚や人間性の欠如までも疑われかねないことですよ。それを上手く指導してやるのが小学校の国語の授業だと思います。
たとえば三国志での妻の肉を供する逸話のように、今の時代に全くそぐわない、理解しがたい価値観であれば仕方ないかもしれません。しかし「ごんぎつね」は現代でも通用するものとして教科書に掲載されているのではないでしょうか?
「感想」に対して問題があると指摘すること自体がおかしいという意見も多く出ていました。
「物語」の感想としては大いに問題ありではないかと思います。いや、そもそも「物語」として読めていないことが問題かと思います。そしていい大人がそういうことを肯定するのもどうかと思います。
さまざまな視点から多様な意見が出てくることは良いことですが、評価されるべき異論というのは当たり前の模範解答のさらに先の高みに到達できているものであって、根本から曲がっているものは論外だと感じます。
この手の感想をよしとするのであれば、サーガとまで呼ばれるほど壮大なスターウォーズでさえも、極端に要約したり、発生するイベントだけ並べてみれば陳腐なものです。たとえば「嫉妬に狂った馬鹿が息子に説得されて改心する話」とか「かつての神童がどの環境でもトップには立てず一生を終えた」とか。
そういう認識はアリだとしても、スターウォーズという「物語」の「感想」として妥当でないことはお分かりいただけるかと思います。
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投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2013年5月10日 08:15