牛丼のブランドだから弱い
たとえばウチから千川通りを下って江古田の駅を過ぎたあたり、右手に吉野家、左手になか卯、という地点がある。深夜3時、なか卯は大勢の客で賑わい、吉野家は一人も客が入っていない。
ごくごく当たり前だけど、「牛丼=吉野家」という図式でブランディングして良いのは「牛丼が用意できるときだけ」だと思う。なか卯は牛丼屋じゃない。松屋も牛丼じゃなくてもいい。らんぷ亭も然り。神谷明風に唄うなら、吉野家だけが牛丼一筋300年♪のイメージだ。
オージービーフじゃいかんのか?和牛じゃいかんのか?アメリカ産にこだわる理由って何だ?
そもそも吉野家に対して、そんな職人気質めいた「こだわり」など誰が求めていただろうか。神谷明風に唄うなら、早いの美味いの安いの〜♪で済ませば良いのだ(美味いかどうかは別として)。
彼らは牛丼を終了してから何もしていない。
「いつか再開する日」という不確定要素を自ら取り込んで、主力商品の席を空けたまま迷走しているのだ。結局、彼らはどこまでも牛丼を売る牛丼屋でしかなく、代替商品をそれ以上の地位に引き上げる努力もしていない。チーズが消えたことに気付いていない。酒を置かずにウーロン茶や緑茶でお茶を濁す酒屋などないのだ。パンがなければお菓子を食べれば良いのだ。お菓子が売れないのなら、お菓子をパンとして制定すれば良いのだ。牛丼に匹敵するsomething newを繰り出してみろ!牛丼のイメージを払拭してみろ!
何ヶ月か前から、最寄りの吉野家が深夜営業しなくなった。丑三つ時に店の前を通るたびに、中で牛丼を貪る人々を見て、自分も誘われるように足を踏み入れたものだが、客足が遠のいては無理もない。
マクドナルドが相変わらずマクドナルドであるように、吉野家は吉野家としてのあるべき姿を見つけなければならない。吉野家=牛丼ではなく、吉野家=吉野家になれるように。
投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2004年10月28日 01:52