2050年、脳の中身をPCに保存?マモーになれるのか?
「2050年、人間は「不死身」に=脳の中身をPC保存」という素敵なニュースがありました。
コストがかかるため、2050年に「脳ダウンロード」を享受できるのは金持ちだけで、貧乏人は2075―80年まで待たねばならないだろう
まったくの妄想ですね(笑)
「ルパンvs複製人間」とかマモーとか、はたまた「キャプテンフューチャー」のサイモンとか言っても最近の子供には通じなかったりするのが哀しいところです。
それから2020年までには「意識」を持ったコンピューターの開発が可能だとも語られているんですが、
感情を持ったコンピューターの応用例として、航空機制御プログラムへの導入を提唱。「墜落を前にしたコンピューター制御プログラムは恐怖を覚え、何としてでも墜落を回避しようと全力を挙げるだろう」と語った
はちゃめちゃですね。久々に使いましたこの言葉。はちゃめちゃ!
恐怖を覚えるのと墜落回避の間に、日本海溝より深い溝があるんですが....
まあ、百歩譲って墜落回避に全力を注ぐ能力があると仮定しよう。で、恐怖を覚えたら逃げないか?もしくは怖じ気づいて尻込みしないか?てゆうか責任感ないとやってくんないぞ。責任感てのは社会性の中から芽生えるもので、ひょっとしたらこのコンピュータ導入したら育成から始めなきゃならんのか?てゆうか感情に左右されないからコンピュータは信用できるというのが現状じゃないのか?
冷静沈着なデータ少佐がエモーションチップを搭載した途端に恐怖でガチガチに固まっちゃったのを知らないのか?
などと妄想の塊に妄想の塊で返しても虚しくなるのですがw
真面目な話をするとですね、感情というのは脳内の化学反応なわけですから、その微妙さ加減をコンピュータでも表現できないと困りますよね。記憶だけダウンロードできたところで、やっぱり意識とか感情が無いと意味が無いわけですよね。
で、本当に望ましいのは、感情や思考のパターンをちゃんと記憶の持ち主からコピーできる状態ですよね。それが出来ないと、別人格(のコンピュータ内)に記憶を転送しただけになってしまう。おそらく記憶のダウンロードをする人が望むのは、自分自身の移植であって、記憶のみの移築ではないですものね。むしろ記憶は欠損していたとしても、自我がある限り自分は自分でいられるわけで、記憶よりもそれを保存する方法を考えるべきですかね。
投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2005年6月20日 20:40