病床の死の淵で命を削りつつケータイから執筆した短編小説
大げさなタイトルですが、先ほどハードディスクの片隅から発掘された拙作をここに発表します。
3年前、いい大人なのに息子から水疱瘡をもらい、10日に渡る入院生活の末に生還したのです。たったそれだけの事なのですが、いま読み返してみると、狂気と絶望をはるかに越えた達観とでもいうか、あきらかに覚悟しているような文体であります。
年を追うごとに感性が鈍り、狂気や絶望への到達すら最近では難しいというのに、土壇場まで追い込まれるとここまで冴え渡るのかと、久しぶりに読み返して自分の業に驚きました。
↓以下がその作品です。
【柘榴(ざくろ)】
綺麗だろう?
信じられるかい?
透き通って、きらめいて、ワインの様に深く紅い。
まるで柘榴の小さな粒のひとつひとつを、皮からスプーンでこそぎ取って、撒き散らしたみたいだ。
でもこれ、俺の躯なんだぜ。
信じられるかい?
この病は、死とひきかえに、こんなにも美しい水泡を、無数に産み落としてくれたのだよ。
昨晩、俺はある夢を見た。
すでに千も出ている水泡の、その隙間に覗く皮膚からも、新たに星の数の水泡が生まれでる夢だ。
その水泡はしだいに大きく膨れ上がり、隣り合うもの同士がアメーバーのように融合し、瘤のような塊ができる。その瘤も膨らみ続けて融合しあい、やがて俺の全身は大きなひとつの水泡に包まれてしまう。
そのとき、病室の隅の暗闇から静かにそっと現れた真っ白な山羊が、まるで草でも食むようにムシャムシャと、俺の水泡を食べ漁るのさ。
ただの水泡になっちまった俺は、その痛みに悲鳴をあげることすら出来ず、いつまでも山羊がたてるムシャムシャという音を聞くしかなかったというわけだ。
悪夢から醒めたとき、俺の手には掻きむしった痕がいくつも残っていた。
その手で額の汗を拭ったとき、俺は愕然とした。
まさに柘榴の果肉そのままの触感なのだ。
いくつもの微少な粒が俺の顔を覆いつくし、その粒のいくつかは触れただけで潰れ、しっとりと顔を濡らした。
すぐさま俺は壁際の鏡に目をやった、しかし…!
昨晩たしかにそこにあったはずの鏡が無くなっているではないか。
そのとき、入り口の鍵を開ける音がした。付き添い婦が朝食を運んできたのだ。
鏡はどうしたのかと尋ねると、彼女は俺と目を合わせないようにしながら、看護婦が夜中のうちに外して片付けたのだとだけ答え、そそくさと部屋をあとにした。
そしてまた鍵を閉める音が聞こえた。それはこのうえなく冷たい金属音だった。
ついにこの時が来たのだ、俺は悟った。
晴れることのない無限の苦しみから、ようやく解放されるのだ。
惜しむらくは、俺の顔を覆う無数の水泡 ---それはきっと宝石のように美しいであろう--- を眺め愛でる願いが叶わないということだ。
俺は半身を起こして粥を一口だけすすり、また横になった。
しばらくして下膳の時間を迎えると、看護婦が点滴を持ってやって来た。
それは昨日まで射っていたものとは違う色の薬剤だった。
そっと目を閉じると、瞼の裏にサイケデリックな模様が投影された。
うねり波打ちながら、どこまでも遠くへと回り落ちていくような、永遠にループを続けるその模様は、人が最期に見るという走馬灯の景色のようにも思えた。
看護婦が部屋を去る足音と同時に、右腕の静脈にひやりとした液体が流れ込むのを感じた。
俺は持てる精気のすべてで全身に聴覚を張り巡らせ、山羊のムシャムシャという音を探した。
2002.05.10. 病床にて
投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2005年9月29日 00:21