不特定多数のブログ読者を意識するという失敗
よく言われる失敗の原因はこうです。
『ブログを公開しているということが、不特定多数の人間に見られているということだとは意識してなかった』
友達と話してる感覚で好き放題書いてたら、どえりゃあ事になってもうたとかね。
ところがですね、常に人目に晒されるものを作るという仕事に長い間携わっていると逆に、そういう感覚を完全に喪失してしまうんですね。
限られた時間と機会で最大限のアウトプットを引き出すということは即ち、何らかの発表を前提としての、人生すべて芸の肥やしであったり、人生すべてネタになってたりするわけです。不特定多数に見せること大前提。しかもちょっと上からの目線ぎみ。
ようやく最近になって、CGMだのUGCだのでも同じ感覚でいると、これはそのうち大失敗につながるぞという予感がしました。
たまにメディア批判みたいなことを言ったりしてるのに、ブログのPVが1万超えてる日があるとかポッドキャストの登録者が何万人規模にもなってるとかそして恐ろしいことにその数が伸び続けているとか。
それって『おまえもメディア化しつつあるじゃねーか!』みたいなバランスの悪さですよね。
ということを抜きにしても、もはや嫁や息子との会話なんてブログで公開すること前提のネタでしかなかったりするわけですよ。何かあれば夫婦どちらかもしくは両方がエントリー書くみたいな。
そんな諸々のリバウンドから、ある方にお願いして、最近はケータイで写メールの交換などを始めました。
ただの個人的な通信なのです。
不特定多数の誰かではなくて、特定の人に伝えるために写真を撮る。他の誰でもない、その人のためだけに撮る。もちろん公開を前提としないもの。
これがかなり新鮮で面白いんです。
写メールを「今さら」ではなくて、今だからこそ違う視点で楽しめる。書く/撮るということの原点回帰であったりもします。
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投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2006年10月 6日 02:25