リア充とiPod的な情報流通による脱コミュニケーション
これらについて真剣に考えねばならないのだと思います。
おもにWebでのコミュニティ運営やコンテンツ配信の面で。
▼【B面】犬にかぶらせろ! — iPod化する社会
▼ARTIFACT@ハテナ系 — 「リア充」を使っているのは大学生以下らしい
▼リア充さんと、値踏みされるブログエントリー :Heartlogic
ネットでのコミュニケーション過多の世界から、エクソダスを始めた人種がいるということ。
それがここ最近ずっと気になっとったんですわ。ブログは書いてるけど友人以外は見てくれなくていいし見ず知らずの人からのトラックバックなんか要らんとか。
なんていうか、よく知らん人はよく知らん人であって、ネット世界と現実はきっぱり区別してるというか、だからこそモバゲータウンの存在意義もあるというか。
以前は、mixiのオフ会に見境なく顔出してる人達がいて、この人達って家庭も仕事も友人関係も恋愛も全てが充実していないか欠落しててヒマなんじゃないかと見え始めて、それから僕はそういう集まりには顔出さなくなったというか、まあmixi自体も何度もやめてるわけですが。
「つながる」とか「つなげる」ことが目的であった時代はとっくに終わっていて、それは既に当たり前にあるもので、手段のひとつでしかなくなっているんですよね。
見ず知らずの人とつながって嬉しいという快楽物質分泌は、わりとオッサンの世代なんだと。
今や「つながる」サービスというのは、ある人達にとってはノイズ増幅でしかないのかも。
物心ついたときから五感や触感と並列で「ケータイ」という手段があれば、そりゃ有り様も変わって来るというものです。
それが可能だからといって、わざわざする必要はないという感じで、よく知らん人とコミュニケーションとる必要性なんてあまり感じないわけです。逆にリア友とも、密に連絡がとれる状態ならば、これまたネットでつながっておく必要もほぼ無いわけです。
で、つながる機能を省いた端末はコンテンツ貯蔵庫であって、果てにはiPodという自閉回路に行き着いてしまうと。
僕にもそれが出来たらもう完璧ですね。エクソダス完了。iPodとリア充の二極両刀で人生が素敵に。
なんか高城剛がそんなこと書いてたという気がしますが。
確実に彼らにリーチするにはリアルから忍び寄るか、iPodにプリインストールしておくしかないですね。プルでもプッシュでももうダメだ。僕だってネットのコミュニケーションツールなんかには、もうあまり魅力感じないんだから。
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投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2006年10月26日 02:46