おっさんが自由な発想で再挑戦できる風土
なんだこれは?どうもしっくり来ない。
My Life Between Silicon Valley and Japan — 若い人が自由な発想で挑戦できる風土、その挑戦が称賛される社会
羽生さんはこの名人戦に勝ち、ほどなくして史上初の七冠に輝き、将棋界の頂点を極めて将棋界の「常識」「様式」を壊し、今は若い人たちの自由な発想から「画期的作戦」が編み出される時代になったのである
出る杭は打たれるとはよく言うけれど、打たれて二度と立てないならそれまで。
当時の羽生さんの勢いはスゴかった。強すぎた。それは無視するわけにはいかない。これは簡単な話。
無視できない存在になればいい
ただそれだけ。
昔だったら外国人力士は横綱なんてなれなかった。品格が足りないだのなんだのと難癖をつけて、横綱にはさせなかった。
しかしまあ、無視できない強さとなれば、認めるしかないわけだ。
若者の画期的な策や意見を通すために、様式や伝統を崩して入り込む余地を与えねばならんのか?
つまり、おっさんが甘くならねばならんのか?
なぜ?
ごく一部の突出した才能を受け入れねばならんのは当然だろうが、若者全般に甘くなるのは違わないか?
二十歳の若者と、四十歳のおっさんに同じ実力があれば、誰でも前者のほうを採用したくなるだろう。今でも、若いというだけで充分に優遇されている。それでは不十分か?
日本の十分の一の歴史しか持たない帝国国家の風潮に毒されたような意見には、簡単には同意しかねる。
風通しのよい社会が実現され、若い人たちの閉塞感が少しでも払拭されるよう、できることを少しずつでも、やっていきたいと思う
若いうちの閉塞感が強ければ強いほど、爆発的なパワーも得られるというもの。こちらから歩み寄らなければ意見も通せないような不甲斐ない子供達には次代を任せられない。
むしろ今必要なのは、そういった不甲斐ない子供達に見切りをつけ、おっさんが再挑戦できる風土ではないだろうか?数の上でも若者の比ではない、圧倒的多数だ。それこそ国家再建の要となるだろう。
投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2006年6月25日 06:29