フラット化ではなくリキッド化する世界
高城剛が提唱する新世界、そしてアメーバ化する世界だと思う
ブログなどでトーマス・フリードマンの「フラット化する世界」の書評をよく目にしますが、高城剛のインタビューで面白いものがありました。「終わった」論だったりするわけですがw
トフラーの新刊も、フリードマンの『フラット化する世界』も、既に古い。彼の“フラット”という概念は5年前の話ですね。いまさら、何言ってるの?って感じ。これから僕は“リキッド”化すると思うんです。インターネットが典型的だけれど、確かにすべてがフラット=差異がない世界になったように見える。けれど、これからの実社会は、よく見るとキレイな部分や汚い部分が偏在していてて、部分的に固まったり、広がったりしながら常にカタチを変えていくようなイメージ。水をバシャーンってこぼした状態に似ていると思う
5年前というのは流石に言い過ぎなのかもしれないですけど、でも実感としては、今はリキッド化だというのはよく解ります。このへんは昨日書いた「Re:blogolonyを逃げだそう」にも通じますね。
一見フラットなように見えますけど、ちゃんと見れば全然そうではないですし、しっかり見てる人は既に視点変更や取捨選択というのが出来てます。そういう個々人が集まってリキッド化していってるという雰囲気は確実にあります。アメーバ化ともいうか。
俯瞰的に見れば確かにフラット=二次元的であっても、その渦中で立体的に線を引いていける人でないと厳しいな、というのは強く感じます。
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投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2006年8月13日 16:55