自分探しではなく、自分なくしの旅
近頃、ゆとり教育見直しについてのニュースが多いですね。
ゆとり教育制定と同時期に、個性を伸ばす/活かす教育というのも話題になっていました。その結果が「自分さがし」という没個性を多々産出しているとも言えなくないです。
個性なんてのは長い年月をかけての差別化とブランディングの果てにあるオマケみたいなものですから、突出した才能もない凡人に若いうちからユニークさを求めるのはかなり酷な話ではないかと思います。
ましてやインターネットで世界レベルと直接対峙できる時代。
15年前なら町内会レベルで際立っていれば良かった「個性」も、いまや世界を相手にどう戦うかを考えなくてはいけなくなりました。
無理ですね。一個人でそれはさすがに疲れます。
にも関わらず個性尊重などと叫ばれ「自分らしさ」を求められれば、最初から土俵にあがらないという逃げの選択もしたくなるわけで、ニート君が「働いたら負け」と言うのもある意味で正しいかもしれません。
人からの聞きかじりですが、みうらじゅん氏が「自分なくしの旅」というのをやってるらしいですね。「勝手に観光協会」もその一環だそうで。
▼生きてるうちにしたいこと】みうらじゅん 自分なくしの旅
振り返ってみれば自分も、我を強く出し過ぎて全体を殺してしまうという仕事は多々ありました。天才でもないのに個人プレーに走り過ぎてチームが勝てないという試合は駄目ですね。
それこそ凡人が「個性を磨くこと」を強いられた末の結果。
没個性を認めない風潮が、永遠に続く自分探しの元凶であり、一億総モラトリアム時代を招いたのではないかと思います。
自分探しの一人旅に出て「人間も大自然の一部なんだ」などと言い出すおかしな輩も多く、そうして地球や宇宙と融和するのと、都会の片隅でモブの一部におさまっているのは根本的にどう違うのかと問いたくなります。
それは我が強くて人間社会に馴染めていないだけなんじゃないかと。海や空や大地は余計なこと言って来ませんからね。
むしろ「自分」などそぎ落としてしまう方がよほど生きやすいんではないでしょうか。
投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2007年6月 9日 19:40