事件は現場じゃなくて画面の中で起こってる
まわりくどい情報伝達経路の例です。
[登場人物]
・うちの母(富山県在住)
・うちの息子(練馬区在住)
・私(表参道勤務)
先日の夕方、勤務中の私のケータイに、実家の母からメールが届きました。
「あんたんちの近所ですごい火事みたいやけど大丈夫?」と。どうやらテレビで空撮中継されてたらしいのです。
私は勤務中でしたし、表参道にいながら練馬の状況など知る由もなく、とりあえずググってみたところ、ある新聞社のサイトでそれらしきニュースは見つけました。
火事の現場は近所といえば近所ですが、危険が及ぶほど近いという場所でもなさそうです。
念のため自宅に電話してみたところ息子が出ました。「火事?知らないよ」とのことでした。
このケースでは現場から遠い順に情報が伝わっています。物理的に当事者にもっとも近い人間が、いちばん後から事件を知るという例です。
しかし、こういったことは初めてではなく、過去にも何度かありました。
うちの近所で日本刀を持った男がいるというのを親類や友人の電話で知ったり、「茨城で原発事故があったらしいけど大丈夫?」と大阪の友人から電話がかかって来たり、通り魔事件の現場すぐ近くにいたのに事件を知ったのは家に帰ってニュース番組を見てからだったり。
事件は現場で確かに起きているのでしょうが、人間の知覚が及ぶ範囲より少しでも外側の出来事だと感知できないのですね。そうなると、いくら現場に近いところにいようとも、それは「体験」ではなく単なる「情報」になります。情報化した瞬間に地理的な差を飛び越えていくので、なんらかの情報端末に触れてるほうが物理的な距離よりも優位だということですね。
ま、それはそれで構わないんですけど、ただの情報を入手しただけで追体験や疑似体験した気分になってしまうというのが非常に問題ありですよね。とても悲しい事件が起きたら日本全体で悲しくなったり、たったひとりの者が突出して理解不能な行動に出ただけで全国的にパニックに陥ったり。
情報から受ける印象だけで、世の中全体が物騒になったなんて判断するのはどうかしてます。身の回りの空気よりも、画面から受けるインパクトのほうが「濃い」と感じてしまうのでしょうか。でもカレーに毒盛った犯人と私との間の"精神的な"ベーコン指数は500以上はありますよ。正直、それって別世界のエピソードです。
最初の話に戻れば、「火事?知らないよ」が一番リアルな言葉なんです。放送や通信を通して得た情報に振り回された者と、半径3メートルを見渡して何も起きていないと確認できた者の差ですね。
投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2008年1月18日 01:49