英語で情報発信を勧められる違和感
最近とくに言われることが「英語で動画配信しないの?」ということ。
その度に逆に問うのです「なぜ?」と。
ほとんどの場合、単純にパイを広げるという考えでそういう意見をしているみたい。でもそれは非常に難しいんじゃないかと思ってます。僕の場合、半径3メートル以内の情報発信というのを常に念頭に置いているので、状況的に近い人々に響くようなコンテンツになると思うのです。住んでる国も言語も違う人々に共感しやすいものだとは思ってません。
逆の立場になってみればよく分かることで、新聞に載るようなレベルの海外情報であれば、マスメディアだけでなく1ブロガーの切り口というのも見てみたい気はします。しかしその地に住んでいなければ楽しめないような小さな事となると、あえて取得したい情報ではないと思っています。
以前、僕の「KAOSSILATOR」の動画が米国版ギズモードに掲載されたことがありました。これは「KAOSSILATOR」という超言語があったからであって、英語だとか日本語だとかあまり関係ないこと。海外の人が僕のYouTubeを登録してくれることも増えてますが、同じく増えているのが「言葉は分からないがアンタのビデオは面白い」という内容のコメント。これも超言語の部分。
多分に芸術系出身というのが強く影響しているような気はしますが、言語や地域性に縛られている部分での面白さというのは弱いという考えもあります。美術館に行って感動する作品は、同じ言語を喋る作家によるものばかりか?ということです。
超言語の面白さを獲得できていれば、他言語展開もやるべきでは?という事も言えます。ただ、訳詞を読んでがっかりする洋楽と同じで、言語というのは超言語の良さを曇らせる力も持ってます。言語のほうが「理解」しやすいですから。情報の質と無関係なところで評価されるのは、あくまで副次的なものとしてとらえています。
ところでOrkutがラテン語に侵食され始めた頃のこと、あるアメリカ人が「ここはアメリカだぞ」というメッセージを流したことがありました。
この発言の恥ずかしさもさることながら、経済力も軍事力も通用しない場では案外脆い国なのかもしれないと感じました。このケースを思えば、中国がGoogleを排除しつつ百度を展開しているというのは、圧倒的多数の中国語人口を考えると正しいとしか言いようがないですね。
4割がスパムとはいえ、ブログで使われる言語で最も多いのは日本語だそうです(参照1、参照2)。
量が充分にあるのなら、あとは情報の質さえ高めていけば、無理に他の言語でやる必要というのもあまり無いような気がしてます。
論文にしろニュースにしろ、日本語でやるということが大切な時期なんじゃないでしょうか?知りたきゃ日本来れば?というくらい強気で行きたい。なんでも英語圏にあわせるより、日本人に都合の良いように世界を作り変えたほうが楽だと思いません?せめてバーチャルの世界だけでも。
投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2008年3月30日 00:34