知識人よりもまだ衆愚のほうが許せる空気はソーシャルメディア始まって以来じゃなかろうか
そもそも知識人とは何ぞや?という疑問もありますがそれは置いといて、3.11の震災以降、専門分野でもないのにしゃしゃり出て来て、やれ原発は大丈夫だの放射能とは安全だのという知識人がソーシャルメディア上に沢山出現してしまいました。
借りて来た知識でささっと論を組み立てるのは一種の才能ですから、それは評価してもいいと思います。あくまで見物人として。
ただ、原発はどうなるとか放射能が安全だとかさんざん言っておきながら、本当にやばいことになってきたら話題を変えたり黙ってたりするのは「嗚呼やっちゃったな」と思うばかりです。
不安なときは誰でも、自分より強い人にすがりたいものです。そんな雰囲気をうまく汲み取ったのか、強い言葉を発し続けて民衆をミスリードした知識人の方々が少なくないですね。
その結果、少なくともソーシャルメディア上では、知識人の言うことにまったく価値を感じなくなってしまいました。疑うことなくデマを拡散したりパニックで右往左往している衆愚のほうが、少なくとも嘘のない素直な姿だと思いますし、まだ好感が持てます。
Web 2.0 時代の夢でもあった「集合知」は残念ながら「悪貨は良貨を駆逐する」の法則にのっとり実現なりませんでしたが、一部知識人の言動よりも衆愚のほうがまだましだと思えるようになった現在、いよいよ本当の集合知に向けてネットの文化が再構築されつつあるように感じます。
投稿者 愛場大介(Daisuke AIBA / Jetdaisuke) : 2011年4月18日 12:09